今を去る三十年の昔、三|題《だい》噺《ばなし》という事|一時《いちじ》の流行物となりしかば、 当時圓朝子が或る宴席に於《おい》て、國綱《くにつな》の刀、一節切《ひとよぎり》、 船人《せんどう》という三題を、例の当意即妙《とういそくみょう》にて一座の喝采を博したるが本話の元素たり。 其の時聴衆|咸《みな》言って謂《い》えらく、 斯《か》ばかりの佳作を一節切の噺《はな》し捨《ずて》に為さんは惜《おし》むべき事ならずや、 宜敷《よろし》く足らざるを補いなば、遖《あっぱ》れ席上の呼び物となるべしとの勧めに基《もとづ》き、...
亜米利加の思出
皆様も御存じの通り私は若い時|亜米利加《アメリカ》に居たことはありますが、 何しろ幾十年もむかしの事ですから、その時分の話をしてみたところで、 今の世には何の用にもなりますまい。米国がいかほど自由民主の国だからと云ってその国に行って見れば義憤に堪えないことは随分ありました。社会の動勢は輿論《よろん》によって決定される事になって居ますが、 その輿論には婦人の意見も加っているのですから大抵平凡浅薄で我々には堪えられなかった事も少くはありませんでした。...
愛する人達
ばうばうとした野原に立つて口笛をふいてみてももう永遠に空想の娘らは来やしない。なみだによごれためるとんのずぼんをはいて私は日傭人のやうに歩いてゐる。ああもう希望もない 名誉もない 未来もない。さうしてとりかへしのつかない悔恨ばかりが野鼠のやうに走つて行つた。 萩原朔太郎といふ詩人は、もうすでに此世にはないけれども、此様な詩が残つてゐる。 専造は、大学のなかの、銀杏並木の下をゆつくりと歩きながら、 この詩人の「宿命」といふ本の頁をめくつてゐた。 約束の時間を十分も過ぎたが、五郎の姿はみえない。繁つた、銀杏の大樹はまるで緑のトンネル。...
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