学校へ行く私が、黒繻子の襟の懸つた、茶色地に白の筋違ひ雨と紅の蔦の模様のある絹縮の袢纏を着初めましたのは、 八歳位のことのやうに思つて居ます。私はどんなにこの袢纏が嫌ひでしたらう。 芝居で与一平などと云ふお爺さん役の着て居ますあの茶色と一所の茶なんですものね。 それは私の姉さんの袢纏だつたのを私が貰つたのだつたらうと思ひます。 十一違ひと九つ違ひの姉さんの何方かが着て居ましたのは恐らく私の生れない時分だつたらうと思ひます。 大阪へ出て古着を安く買つて来るのがお祖母さんの自慢だつたやうですから、...
粟田口霑笛竹
今を去る三十年の昔、三|題《だい》噺《ばなし》という事|一時《いちじ》の流行物となりしかば、 当時圓朝子が或る宴席に於《おい》て、國綱《くにつな》の刀、一節切《ひとよぎり》、 船人《せんどう》という三題を、例の当意即妙《とういそくみょう》にて一座の喝采を博したるが本話の元素たり。 其の時聴衆|咸《みな》言って謂《い》えらく、 斯《か》ばかりの佳作を一節切の噺《はな》し捨《ずて》に為さんは惜《おし》むべき事ならずや、 宜敷《よろし》く足らざるを補いなば、遖《あっぱ》れ席上の呼び物となるべしとの勧めに基《もとづ》き、...