粟田口霑笛竹

1月 26, 2022food

今を去る三十年の昔、三|題《だい》噺《ばなし》という事|一時《いちじ》の流行物となりしかば、

当時圓朝子が或る宴席に於《おい》て、國綱《くにつな》の刀、一節切《ひとよぎり》、

船人《せんどう》という三題を、例の当意即妙《とういそくみょう》にて一座の喝采を博したるが本話の元素たり。

其の時聴衆|咸《みな》言って謂《い》えらく、

斯《か》ばかりの佳作を一節切の噺《はな》し捨《ずて》に為さんは惜《おし》むべき事ならずや、

宜敷《よろし》く足らざるを補いなば、遖《あっぱ》れ席上の呼び物となるべしとの勧めに基《もとづ》き、

尚《なお》金森《かなもり》に充分の枝葉《しよう》を茂らせ、國綱に一層の研《とぎ》を掛け、

一節切に露取《つゆとり》をさえ添え、是に加うるに俳優|澤村曙山《さわむらしょざん》が逸事を以《もっ》てし、

題して花菖蒲《はなしょうぶ》沢の紫と号せしに、この紫や朱《あけ》より先の世の評判を奪い、

三十年後の今日迄《こんにちまで》依然として其の色を変ぜざるのみか、

一度《ひとたび》やまと新聞に写し植字《うえ》たるに、

這《こ》も復《また》時期に粟田口《あわだぐち》鋭き作意と笛竹《ふえたけ》の響き渡り、

恰《あたか》も船人《せんどう》の山に登るべき高評なりしを、

書房《ふみや》は透《すか》さずこの船人の脇艪《わきろ》を押す事を許されたりとて、

自己《おのれ》をして水先見よと乞うて止まねば、

久しく採らぬ水茎《みずぐき》の禿《ちび》たる掉《さお》を徐《やお》ら採り、ソラ当りますとの一言《いちげん》を新版発兌《しんぞおろし》の船唄に換えて序とす。