亜米利加の思出

1月 26, 2022diary

皆様も御存じの通り私は若い時|亜米利加《アメリカ》に居たことはありますが、

何しろ幾十年もむかしの事ですから、その時分の話をしてみたところで、

今の世には何の用にもなりますまい。米国がいかほど自由民主の国だからと云ってその国に行って見れば義憤に堪えないことは随分ありました。社会の動勢は輿論《よろん》によって決定される事になって居ますが、

その輿論には婦人の意見も加っているのですから大抵平凡浅薄で我々には堪えられなかった事も少くはありませんでした。

ストラウスの楽劇サロメが演奏|間際《まぎわ》になって突然米国風の輿論のために禁止となった事などはその一例でしょう。

ラフカジオ、ハーン(小泉八雲)が黒人の女を愛したようなことから

世に容れられなくなった事なども所謂《いわゆる》米国風輿論の犠牲と見るべきものでしょう。

露西亜《ロシヤ》のゴルキイが本国を亡命して紐育《ニューヨーク》に行ったことがあるが

矢張輿論のために長くその地に留《とど》まることができなかったような事がありました。

しかし目下日本の情勢では亜米利加人の欠点を指摘することはできませんからそのいい方面を思出してお話をしましょう。

私は一年ほど市俄古《シカゴ》から汽車で四時間ばかりかかる田舎の町のカレッジで勉強して居た事があります。

学年試験の時、生徒は答案を書いて居る間随時に教室の外へ出て休息しても差閊《さしつかえ》がない事になって居ました。

しかし外へ出ても互に話をしたり運動をしたりしても、決して試験問題の答案の事には触れません。

しようと思えば内証でいくらでもずるい事は出来るのですが誰一人そんな事をする者は居ませんでした。自分で学力が不十分だと思えば自分から一年元級に居残る事を請願する者も居ました。

試験勉強という事はその時分の米国の学生には決して見られない事でした。

学校外の生活にも感心すべき事が多かったのです。煙草を喫するものはありましたが在学中酒を飲む者はありませんでした。尤《もっと》も私の見たのは今申す通り人口わずか二万人位の田舎に在る専門学校の事で、

繁華な都会の有名な大学の事は知りません。

米国生活の好き方面を見ようとすれば都会を去って地方の小都市へ行かなければならない。

これは米国のみには限りません。

仏蘭西《フランス》は淫奔奢侈の国のように思う人もあるがそれは巴里《パリ》の一面を覗いただけの旅行者の言う事で、

純粋なる仏蘭西人の家庭または地方の生活を見ればそうでない事はすぐに分る話です。